九競探トップページのアクセスログの検索ワードで”キンコーバトラ 地方競馬”というのがあった。またエラク懐かしい馬名で検索してる人がいるもんだ。というのはともかく、そのURLを逆引きしてら引っ掛かってた記事が
こちら
なるる。キセキノサイクロンってキンコーバトラの下なんだ。だからといって親近感が湧く、ということは全然無いんだけど、キセキノサイクロンの成績が成績だけに、来年春頃には荒尾の3歳条件をひっそり走ってたりしてもなんの不思議もないような。
しかし、このnetkeibaの記事でのキンコーバトラの取り上げられ方。
>半兄には川崎記念(交流G1)3着があるキンコーバトラ(牡15、父ドウカンヤシマ)
今更牡15歳という表記が必要なのかはともかく(…それともわざわざ15歳だと言っているからには、乗馬なり功労馬なりで存命なのかな?)、川崎記念(交流G1)って。
キンコーバトラが川崎記念走った時は統一グレードも導入されてないし、まだ中央交流戦じゃなかった時代だけじゃなかったっけ?(当時はまだ地方のみ全国交流で、地方交流年代の晩年に1年だけなんかの都合で南関限定になってたような気がする。もしかしてキンコーバトラの3着はこの南関限定の年だったっけか)
キンコーバトラの競走成績の最後の方は荒尾で重賞勝って荒尾サラ古馬チャンピオンの座をしっかり固めながらそのまま中津へ転出。転出理由は斤量落とし(一旦転出→一定期間後再転入して転入馬扱いの初期斤量に戻す狙い)だったんだけど、中津で2戦ぐらいしかしないで、荒尾に戻ったら戻ったでそれ程良い成績は上げられなかったような記憶が。
つーことで、既出写真の中にキンコーバトラの写真があったんで載せときますね。ファイル名によると96年のサラブレッドチャンピオンの模様。
追記:記憶だけで語るとロクなことが無い(笑)
キンコーバトラの川崎記念3着は地方全国交流の最後の年(南関のみだったはその前年)で、開設記念勝利→中津移籍で3戦1勝後に荒尾再入→1戦1勝のみで引退。という成績でした。
…本文書いてるときにはNARデータベースにアクセスできなかったのよねぇ